すべてを水に流すこと。古神道とともに。②

こんにちは。昨日の記事の続きです。その前に,左の写真は上賀茂神社境内に流れる「ならの小川」です。神道大祓詞に登場される祓戸四神の瀬織津姫神が坐しますところです。川の織り成すところに御鎮座されると言われていて,最も祓いのエネルギーが強い場所です。境内唯一の休息用のベンチが設置されています。 それでは,続きから書かせて頂きます。あらためて今回の参詣を振り返って観てみると「水の如く」「すべてを水に流すこと」ではないかと感じています。これに尽きた参詣であったと帰宅してからそう思っています。しかし,この「すべてを水に流すこと」と言うことほど難しいものはありません。良いことも悪いことも,損も得もすべてを水に流すのですから容易なことではありません。なぜなら,好きなものは好きですし,嫌いなものは嫌い。良いものは良いし,悪いものは悪い。興味のあるものは興味があるし,興味のないものはない。自分にとって得することはするけど,自分にとって損することはしない。対照的に考えて見るとそれ以外にもたくさん比較する対照が私たちの日常にはあります。 仮に,それを人に話しても「そんなこと当たり前だ」と言われてしまうでしょうし「変わってるな」と感じられるかも知れません。私も知人にその様な話をされたらきっと,そう想い,感じることだろうと思います。そんな難しく考えないで,自分が楽しく豊かに幸せになることだけを考えて生きて行った方が良いよと話をしてしまうかも知れません。それが正しいかどうかと云った事柄ではなく,自分が幸な人生を歩もうとし,それに伴う努力をすることに正誤の判断は出来ないと感じているからなのかもしれません。 しかし,これを理屈で考えれば考えるほど迷いの道を歩んで行くことにもなるのだろうと感じています。私は仕事柄,紛争や争いなどの事柄に接することも多くあります。そう言った中で,霊能者などの人と闘うことも多くあります。そのほとんどが,お金に関する事柄です。現在も係争中の事案もあります。私が,このブログで稀に霊能者などのことを書くのは仕事を通じて体験し,実感して来たものがほとんどです。その危険性も払う犠牲の大きさもよく理解しています。眼には見えない世界であるから事実関係が曖昧で,実態がなかなか把握できないのが霊能・霊的事案の特徴的な実情です。神社や寺院がそう言った方々と縁を持ち,神様,仏様から自ら離れてしまうことも近年は特に多いような気もしています。やはり,地道にコツコツと道を歩んだ方が断然,良いです。 この辺りのことを記事にすると,それだけでブログが出来てしまいますので機会があれば,たまに書きたいと思います。 皆さんは,何かの壁にぶち当たったり,自分がスランプに陥っている時,どのように乗り越えているのでしょうか。又,どのような条件が揃ってしまうと壁やスランプの罠に陥ってしまうのでしょうか。私は,ある時期,仕事でスランプに陥っていた時に,そのことを深く考えていたことがありました。その結果,争いと所有の概念こそ私自身がスランプに陥る主な原因ではないかと考えるようになったのです。先程の霊能者の話ではないですが,たとえば,紛争を仕掛けられた場合や自分の生活や組織が危ぶまれる事態に陥ってしまった場合には「余計な念」を入れないことです。淡々と,そのことに真摯に謙虚に向き合うことです。そして,勝とうと思わないこと。これをしないだけでも随分と結果は違ってくるように感じています。道徳経の祖,老子さんの云う水の如くです。 私はそれを深く探究すればする程,古神道に辿り着きました。正直,ここまで来るには大変でした。常に相手よりも自分が勝っていることを考え,負けることなんて考えならない。自分は正しいのだから,相手が間違っている。自分の言っていることは正義だ。だから相手が自分に合わせるべきだと云う自分の自我や我欲がたくさんありました。それがいつの頃からか,自分の考え方を疑うようになりました。どうして自分は正しいと考えるのか?なぜ正しいと人に言えるのか?を逆に自分自身へ問うことをして行きました。 今でも憶えていますが,部屋の掃除をしている時に「自分の考えを疑え」と音霊から言霊に変わった瞬間を観ました。つまり,自分が正しいと感じていたことを省みることです。そうは言ってもそれが難しくて「そんなのは自分でそう感じてしまうのだから仕方がない」とか正解を探そうとする自分がまだありました。つまり,素直に謙虚に省みることが出来ていないのです。それは,心に反省の心柱がちゃんと起立していないからでした。せっかく努力して作ったものを自分の手で壊すのですから嫌な作業でもありました。 続きは,また明日。拝 毎日,クリック応援ありがとう御座います。 これからも,世界への発信ボタン3つクリック応援宜しくお願いします。 太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。 私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。 又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。 それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。 菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。 わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。 心柱神社 心神とともに。花咲あさひ拝